■くまのりとは?

・本名:熊澤重典
・職業:韓国語学習アドバイザー
・家族:妻(韓国生まれの韓国人)、娘(4歳:幼稚園生)
・資格:韓国語能力試験(TOPIK)Level6(最上級)取得(2005年)
・過去6年にわたってサムスンで勤務し、2012年1月独立しました。
・毎日韓国人の輪に入って韓国語で業務を行ってきましたが、妻も韓国人ですので、日本にいながら、韓国にいるみたいな生活を送っています。



■韓国との出会いは小学校6年生


初めて韓国に行ったのは1988年3月


私の住んでいた自治体が韓国の小学生チームとサッカーの親善試合をやるという企画に参加しての訪韓でした。


当時の韓国は、民主化直後で、またソウルオリンピック直前という今以上に人々の活気が溢れていましたが、 ソウル市内ですら明らかに貧しさを感じさせる街並と目に入ってくる文字が漢字どころかアルファベットも一切ないという風景の異質さに 作家・関川夏生氏がいうところの「ハングル酔い」による体調不良と食欲低下で全く楽しめない韓国デビュー戦となってしまいました。


■大学入学と同時に韓国語勉強スタート


大学入学時に選択しなくてはいけないのが、第二外国語です。


当時、中国が香港返還を目前にして経済成長がスタートしたのを受けて中国語講座は6~7クラス設定されてるのに定員オーバーで抽選だったのに対し、 韓国語は隣の学部と共同でようやく1クラス設置されただけ。


その上、総学生数1200名のうち選択したのが30名ばかり。


しかも、そのうち20名は中国語の抽選に外れて仕方なく履修するはめになった人たちというという不人気ぶりでした。


わたしはもちろん自主的に選択した10名のうちのひとりです。


選択理由はつぎに韓国に行くとき「ハングル酔い」しないため・・・。


小学生のときの「ハングル酔い」という得難い経験は私の人生に大きな影響を与えました。


で、授業では真剣に勉強する人が少なかったのもあって、先生には目をかけてもらい、基本をしっかり固めることができました。


■韓国語を選択する人は変わっている・・・?


しかし、当時は韓流が始まる8年前くらい・・。

韓国について話題になることはほとんどない時代、韓国語を履修していると話すと必ず聞かれるのが

「なんで、韓国語なんかにしたの?」

「韓国語勉強して何に使い道あるの?」

という質問。

同級生の女の子からの質問にまともに返事をしても「ところで、韓国ってどこにあるの?中国?」などと今では信じられないような会話が平然と行われていましたし、 社会人の男性からはすぐ女性目当てじゃないのか?と言われる有様でした。

今でこそ韓国の美人と仲良くなりたいという願望・欲望はあえて否定しませんけど、ウブでピュアだった学生当時の私にとっては非常に悔しい経験だったことを覚えています。


■就職、退社、独学で韓国語を勉強


大学卒業後、大手電機メーカへ就職し通信インフラ構築の事業に関わっていました。

が、あくまで日本国内だけで完結してしまう仕事で、韓国との接点も当然ありません。

平凡な日常の繰り返しのなか外資系メーカの参入もあって、自分のいる分野が将来的にだんだん縮小していくことが分かってくるとともに入社同期が韓国サムスンとの協業事業の担当になったことをきっかけに機会は待つのではなく自分で取りにいかなくては来ないとの思いが強まり4年の勤務を経て退社しました。


退社後は貯金を食いつぶしながら韓国との接点のある仕事に就こうと独学で韓国語の勉強をやりました。

基礎文法と読解はできたもののリスニングとスピーキングが全然できなかったからです。

書店で中級用のリスニング教材を購入し
”一冊まるまる覚えてしまえば韓国語が話せるようになるはずだ!”
と思い込んていたため、毎日単語テストとディクテーションを繰り返しました。

聞き取れれば、しゃべれるようになると勘違いしていたんですね。

それで、この勉強方法を3-4ヶ月続けましたが、何度やっても単語テストで満点がとれず、
毎日やってもディクテーションを完璧にこなせません・・・。

そんな中、気晴らしにネットを通じて見つけた
韓国のラジオ放送を聴いてみたとき私に衝撃が走りました。

なーんにも聞き取れない。

これで自分には語学センスがないと思い、一旦韓国語を諦めてしまいました。


■渡韓、婚約


それから約半年後、相変わらず再就職もせずにいましたが、一つ新しい経験をしました。

韓国人の東京巡りに同行してみたところ韓国語が私の口から少しずつ出てきたのです。

その結果、
自信を持った私は、ワーキングホリデーのビザをとり渡韓。

韓国語を絶対マスターする覚悟で午前中は語学学校、午後は韓国人とフリートーキングを繰り返しました。

午前学校でならったことを午後すぐに試してみるというのが本当に実力を上げてくれたと思います。

そんなフリートーキング相手のひとりだったのが、今の嫁さんです。


■日本帰国、再就職、結婚


日本に帰国後は、貯金も尽きてた上早く嫁を日本に呼びたかったのですぐ就職活動を行いました。

しかし、武器がやはり韓国語だけというのは弱いものです。

英語の実力を求められるところには採用されず、 また、とある一流日本企業での面接では 「韓国語を勉強してきて、ネイティブ並みに話せます」 とアピールしたところ、面接のおじさんに

「じゃ、中国語もできるのか?」

と学生時代に女の子との間で交わされた禅問答のような質問も受ける始末。

これ2005年3月の話ですよ。

まだまだ韓国語は需要がないな・・と焦っていたところ、拾ってくれるところが現れました。

韓国語ができる日本人であることが評価され、
韓国どころか、今や世界No1の電子機器メーカーになった
”サムスン”に採用されたのです。

日本語ができる韓国人はたくさん面接したけど、韓国語ができる日本男性を探してたんだというところにちょうど巡り会ったわけです。

本当こういうのはご縁なんだなとつくづく感じます。

2007年以降、サムスンが破竹の勢いで成長していったのはビジネスマンならずとも、ご存知の方も多いかと思います。

こうした時期に合わせてサムスンで仕事ができたというのは本当にありがたい貴重な経験をさせてもらいました。

そうして再就職を果たしましたので、その3ヶ月後、無事に韓国から嫁を呼びよせました。

今、4歳の娘と3人家族として暮らしています。


■今後



2012年1月サムスンを退社し、韓国語学習アドバイザーとしてスタートをきりました。


私には


韓国語がうまくなりたいと独学をしたものの方法を間違えて全く上達しなかった経験、


コツをつかんで韓国に渡り、学校での勉強と実践を繰り返してどんどん上達した経験、


韓国語を使うことを仕事とし翻訳・通訳として給料をもらった経験、


韓国人の上司、同僚と一緒に酒を飲み、バカ話に花を咲かせた経験、


そして、韓国で韓国人の嫁と付き合って結婚までした経験 そういう7年間のされた経験が私の中にあります。


その経験の中からこういう場面ではこう言った方がいいというアドバイスもできますし、 逆に教科書には書いてあるけれども、実際には覚えなくて良いですよというアドバイスもできます。


なにより、私の韓国語を実際聞いて頂いて「この程度でいいのか!」という感覚をぜひお伝えしていきたいと思います。


韓国語を勉強しようという方、勉強をしているもののなかなか伸び悩んでいる方 できるだけ早く、楽に韓国語をあやつる楽しさを味わえってもらえるようにお手伝いするというのが今の私の目標です。


2012年を迎えた今、韓国語を勉強しても私がかつて経験したような「韓国って中国?」とか、色眼鏡で見られることはありません。


むしろ今後さらにドラマや音楽のみならず、電機や自動車など、経済面でも韓国の存在感がいっそう増して韓国語を使う場面が増えてくるはずです。


自信をもってどんどん勉強を進めてみて下さい。


そして、もし難しいなと感じたときには私に相談してみて下さい。


きっとお役に立てると思います。

くまのり



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